いつまで大企業で消耗してんの?

転職成功までのプロセス、転職エージェントの感想、30代での転職の苦労、キャリア感、大企業から脱出する心構え、その他諸々について書いています。 新卒で専門商社(3年)→財閥系一部上場メーカー(9年)→ベンチャー

自分語り20 新規事業立ち上げ担当時代

海外営業でのプロジェクトが不発に終わって、社内ニート時代を経て次は新規事業立ち上げ担当になった。

ベンチャー企業とか中小企業を買収して自分たちの事業にしようぜっていうプロジェクトだった。

メンバーは上司が1人と3歳くらい上の先輩が1人、1歳上の先輩が1人。合計4名だった。

新規事業の立ち上げをやったことがある人はわかると思うけど、これって普通の仕事と違ってゴールがないし、やり方も決まってない。だいたい大企業でこういうことやっても、意思決定する人たちも事業立ち上げた人じゃなくて、既存事業をそつなくこなして、失敗しなかったから偉くなった人が多くて、上層部も何をどうやって良いかわかってない。

私たちのチームは、そんな誰も何して良いかわらかないという状況に放り出されて、何やって良いかわからない日々を過ごしていた。リーダーは既存事業で使えなくて、引受先がなくて、とはいえなんか仕事与えなきゃいけないって人で、全くリーダーシップを発揮しなかった。

リーダーは全く何もしない。1日中新聞読んでネタ探しを初めて、窓きわ族の典型みたいな行動を初めてしまった。リーダーがリードしないチームメンバーは何をするかというと何か探さなきゃいけないということで、模索を始めた。とにかく毎日のようにブレストして、アイデアが出たら可能性を検討して、という方法を繰り返した。

リーダーが使えないので、私は自分がリーダーだという意識を持って、上司に課題を与え出した。

自分で面白そうなネタを見つけて、提携候補を見つけて、ビジネスっぽくなってきた時に、自分じゃアイデア出さないけど、業界が長い先輩が
フリーライドしてきて、プロジェクトを横取りされたこともあった。

一番むずかしい、ゼロからイチを生み出すことを放棄して、私が苦労して見つけたゼロのタネを奪って育てることを始める人がいて、私のモチベーションもだだ下がりした。

ここから本気で転職を考えることになった。

激しいパワハラを受けてた私が豊田議員の件について言いたいこと

豊田議員のパワハラが話題ですね。

パワハラを受けて人生が大きく変わってしまった私としては、豊田真由子先生の秘書の人の気持ちが良くわかる。
私が受けたパワハラはあそこまで酷くなかったけど、病んでる時は上司との会話を録音してやろうかと本気で考えたことがある。

パワハラ受けてる真っ只中の時は、自分が悪いと思ってたから、パワハラの証拠を掴もうなんて気が回らなかった。ただただ辛いだけだった。その後、負荷を下げるため閑職に追いやられて、そこから復活するために、もう大丈夫だからちゃんとした仕事をさせて欲しいと当時の上司に言うときに、録音の準備をした。

もう大丈夫なのに再発を恐れてちゃんとした仕事をさせてくれない上司に対して、不当に能力以下の仕事をさせられている、と言う気持ちがあって、刺し違える覚悟で、もっと仕事をさせて欲しいと直訴した。その時に拒否されて、会社をやめざるを得なくなった時に、録音した会話を証拠に損害賠償請求して、当面の生活保障にしようかなんて考えてた。今思うと追い詰められてたんだな。

で、豊田議員の件で何が言いたいかまとめてみる。

まず今パワハラを受けている人に

この秘書のようにパワハラの現場を録音して押さえることは超重要。パワハラ真っ最中の時は病んでて、自分を責めてしまうけど、パワハラは絶対に許されない行為。特に人格否定は指導でもなんでもないから。録音して然るべきところに提出するって反撃方法があるから。病んで自分の生活がダメになるくらいなら、戦えばいいと思うよ。絶対に被害者は悪くないんだから。

こう言う選択肢があることを示してくれた秘書の人に感謝したいと思う。

パワハラをしている人に

因果応報でやったことの罰は必ずうけることになる。被害者が牙を剥くのは簡単だから、今すぐパワハラはやめたほうがいいよ。私も会社辞める時に、会社の偉い人に辞めるきっかけになったのは、若い頃に受けたこの人のパワハラが引き金ですってちゃんと伝えておいたから。多分、加害者の人たちにもう部下はつかなくなると思うし、出世の道もないと思う。

とにかくやった報いは受けるから、絶対にパワハラはやめてください。

大企業を捨てて良かったこと

転職してそろそろ半年が経過する。

最近感じている転職したメリットとデメリットを描いてみようと思う。

メリット編

固執してたものが大切じゃなかったとわかった

転職する前は、新宿区のマンションに住んで、一部上場企業の丸の内のオフィスで働いていた。これが自分のアイデンティティだと思っていて、これを無くしたら負け組になってしまう、なんてことを思っていた。本当はそんなに大事じゃないことに気づいてたけど、他人からすごいと思われたくて、固執していた。病みかけても、俗物みたいな上司や同僚に嫌気がさしても、それでも捨てちゃいけないと思い込んでいた。

今は地方都市に住んで、前の会社から比べたら1/100くらいの規模のできたばかりの企業で働いている。最初は積み上げてきた地位を捨てるのが怖かったけど、実際住んで働きはじめたら、仕事も生活も以前に比べ物にならないくらい楽しくて、住んでる場所も、会社の規模も、働いている場所も、全部どうでも良かったんだって気がついた。

今は地方の都市部に住んでるけど、本当に何もない田舎に住んでも幸せに暮らせる自信がある。田舎は生活コストが東京とは比べ物にならないくらい安いので、どんな仕事でもある程度生きていけることに気がついた。人生に余裕を持つことができるようになった。

10年先の仕事ができる

仕事では大きなプロジェクトのリーダーを任されている。以前の大企業だと、同じ仕事を任されるまで後10年くらい待たなきゃいけないだろうなという規模感。やる気と実力はあるのに、年功序列で上が詰まっているので、10年くすぶって、文句ばかり言って、40代中盤になってようやく本当の仕事ができる。前の会社はこんな感じだった。

安定してて給料もいいけど、貴重な30代、40代を誰かの命令にしたがって過ごす。私にはこれは耐えきれなかった。今の会社は明日が見えないが、自分たちで自分の未来を切り開いている感があって、毎日エキサイティング。

ストレスが圧倒的になくなった

ストレス軽減ポイントをあげるとキリがないけど、
・仕事にやりがいが生まれた。
・広くて自然のたくさんある家に住んで、生活にもゆとりが生まれた。
・車通勤なので満員電車に揺られなくていい。
・ご飯美味しい。
・大企業にいがちな、出世のために社内営業や社内マウンティングに精を出す輩がいない。
・組織を維持するための仕事とかしなくていい。そんなことにリソースをつぎ込んでる場合じゃない。
こんなとこが全てストレス解消に繋がっている。

自分の大切にするものを追い求めるために環境を変えるのは本当に大事だと思う。
環境を変えることに怖さがあったけど、一度体験してしまうとなんとかなっちゃうってことが実感できる。
面白さを感じない仕事や環境で我慢してたのが一番ストレスになってたんだと思う。

人と比べなくなった

幸福度が上がったからだと思うけど、他人と自分を比べることがなくなった。
他人と自分を比べてしまう人って、不幸な人にしかいないようね。幸福なら別に他人はどうでもいい。みんな幸せになればいいじゃない、って気持ちになる。

前は出世しなければ負けだという思いがあったので、会社とか部署の中で他人の評価を気にしたり、誰かが昇進したのに嫉妬したりしてたんだけど、それがなくなった。

仕事的には社内で競争している余裕がなくて、外と競争しなければ会社がなくなっちゃうかもしれない危機感があるので、目が外にしか向かない。人が少ないので、大企業みたいに同じような仕事をしている人が何人もいるって状況じゃない。自分には自分にしか出来ない仕事があって、オンリーワンの存在になれるので、比較のしようがない。

デメリット

特にない

福利厚生が減ったり、給料が少し減ったりした。けど、生活コストが下がったので手元に残るお金としてはプラスになった。
田舎で生活コストを抑えた方が幸せに生きていけることがわかったので、お金に対する不安も減った。
前はなるべく都内に近いところで家を買おうと思ってたので、とにかく貯金をしなければいけないとの気持ちがあって、いつもお金が足りない気がしていた。今は、田舎で安い家を買った方が幸せになれることがわかったので、将来のお金に対する不安が減った。

じゃあね。

自分語り19 海外営業期

昔から英語が得意だったことと、海外で仕事がしたいという志向が強くて海外営業は憧れていた。私は中国市場の開拓を任された。日本で売れている製品を中国の顧客に販売するという仕事。中国市場は競合メーカーの独壇場で、そこに切り込む仕事だった。

この仕事は楽しかった。月一回程度中国に出張して、中国の子会社のローカルスタッフと一緒に、中国大陸を回った。飛行機に乗ったり、中華仕様の新幹線に乗ったり。火鍋を食ったり、夜飲んだり遊んだり。仕事も頑張った。中国人相手に興味を持ってもらえるようなプレゼンを考えて毎月準備したり。中国市場で採算がとれるようなビジネスモデルを考えて社内で提案したり。

中国の大手企業とコネクションを作って、セカンドソースとしての参入のチャンスをもらうことができた。

しかし、この仕事は採算はほとんど取れないことが確定的だった。中国で現地生産している競合に対して、我々は日本から輸入して対抗しようとしていた。日本から輸入する時点で、輸送費とか関税とかで数10%価格が上乗せされる。その上、中国はボリュームがでる分、市場価格が安くてほとんど利益が取れない状況だった。とはいえ市場に入らなければビジネスがスタートしないので、先行投資として利益ゼロでもいいので市場で実績を作ろうと思って頑張って営業をしていた。

しばらく市場調査を続けていくと、どうにも日本からの輸入品では勝負にならないことがわかってきた。価格で勝てないし、日本のユーザー向けに開発した製品を中国のユーザーは使いこなせないことがわかって来て、中国向けにローカライズした製品を開発する必要があることがわかって来た。こうなると問題は、まだ参入もできてない市場向けにコストをかけて製品開発をするのかって議論になって、市場から撤退することになった。

そのあと、中国ローカルメーカーを買収できないかとか色々検討したけど、どうしても最初から収益化できる見通しが立たなくて断念した。

会社を辞めることがわかってたら、5年後のビジネスのために2,3年の赤字は我慢して下さい、新しいことやるのにそれぐらいの覚悟もできないんですか?経営者でしょ?とか言えばいいんだけど、当時の私は大企業に浸りきってたので、そんな考えに至らなかった。小手先のやり方で、ダメなら諦めるという考えだった。

そんな感じで初の海外営業の仕事は成果が上がらず、社内失業状態から新しい仕事を割り当てられることになった。

自分で言うのもなんだけど、海外の新規市場に挑戦して、頭が擦り切れるほど戦略を考えて、トライして失敗した経験は会社的には何より重要だと思うんだけど、こんな経験をした社員を冷遇して転職させた大企業は考え方を直したほうがいいと思う。

事業計画書を書いた経験が役立っている

かつてトライして失敗したことが、全然予期してなかったところで役立つことがある。Steve JobsがYou can't connect the dots looking forwards, you can only connect them only looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.って言ってて、それを信じてるんだけど、同じことが起こっている気がする。

転職する前、起業しようと思ってスタートアップのコンテストに応募したことがある。ある分野で事業計画書を書いて、応募して一次審査を通過した。二次審査で落ちてしまって、その後止まっていた。最近、私が事業計画書を書いた分野で起業したベンチャーと会う機会があった。一度、市場を調べているし、競合もわかっているし、そのベンチャーの可能性とかどこが成功と失敗を分けるキーポイントかなどがすぐにわかった。早速、協業や投資の検討をして会社に提案することにした。

動いたことや積み重ねたとはどこかで繋がってくる。

ベンチャーに行ってよかったこと

社長にプレゼンして了承された新規事業の実現性を試すために、アライアンスを組みたいと考えている企業にコンタクトをしている。アポイントを取ると、ベンチャー企業の創業者とか上場企業の役員とか、前職では絶対に会えなかっただろうなって人たちに会えるようになった。

大企業時代は、まず飛び込みで自分の企画を持ち込むなんてこと考えもしなかった。まずは、社内で提案して、アイデアを潰すのが仕事みたいな人たちにボコボコにされて、当たり障りのない案になって、外にアイデアを出す前に終わっていた。

今は待ってても仕事が来ない。自分で動いて仕事を作らないと仕事がない。自分でビジネス作るんだ、自分の事業企画に会社から出資してもらうんだ、会社が出してくれないなら、投資家に投資してもらうんだくらいの勢いで仕事を考えている。意識がだいぶ変わった。大企業なら、こんな考えになって、実際裁量を持って動けるのは、後10年以上年取らなきゃいけない。

新しい環境に飛び込んで、失うものも多かったけど、生きて仕事をしている実感を得られたので本当に良かった。

社長に事業企画をプレゼンした

例の社長へのプレゼンが終わった。自分が考えた事業企画をプレゼン。結果は、いいじゃないか進めろ、とのことだった。始めて前向きなコメントをもらうことができた。ここ数日は毎日考えたし、夢でも企画を練ってたので、報われてよかった。

ちなみに前の大企業だと、頑張って作った企画を課内で報告して、いろいろ修正されて、部内で報告していろいろ修正されて、事業部で報告していろいろ修正されて、意思決定できる役員に報告する頃には、当初の面影はなく、やってもやらなくてもいいんじゃね?って無難な案になって、進めようってなっても、作った側のモチベーションも落ちて、という悪循環を繰り返していた。これじゃ新規事業はできないよ。

早速アライアンスを組みたいと考えている幾つかのベンチャー企業に飛び込みでアポを取ったところ、その日のうちに会いましょうという回答をもらうことができた。ベンチャー企業は回答が早くていいよね。

一つのプロジェクトが動き出した。ここからいろいろあるだろうけどやり遂げたい。