いつまで大企業で消耗してんの?

転職成功までのプロセス、転職エージェントの感想、30代での転職の苦労、キャリア感、大企業から脱出する心構え、その他諸々について書いています。 新卒で専門商社(3年)→財閥系一部上場メーカー(9年)→ベンチャー

自分語り13 東日本大震災の影響

パワハラで心が折れかけていたけど、なんとか仕事をしていた。その頃の私は度重なる人格否定で自分はダメな人間なんだと思うようになっていた。今思うと心理学で言うところの学習性無気力という状態だったんだと思う。

学習性無気力(学習性無力感)とは、アメリカの心理学者のマーティン・セリグマンが発見した現象。犬に警報を鳴らしてから床から電気ショックを与える実験をする。当然犬は電気ショックが来たら床から飛び上がって隣の電気ショックのない床に移動する。そのうち電気ショックを与えなくても警報を聞いた途端に犬は隣に移動するようになる。

床から移動できないようなケージに入れると、犬は当然電気ショックから逃れられない。これを何度も繰り返すと犬は警報がなっても動かず、電気ショックを甘受するようになる。こうなった犬を自分の意思で移動できるケージに入れても、電気ショックから逃げなくなる。逃げようと思えば逃げれるのに。無気力を学習したように見える。

これは人間にも当てはまる。自分の力で環境を変えられない体験を繰り返すと、人間も学習性無気力に陥り、最終的には鬱になる。余談だけど、マーティン・セリグマン博士はこの法則を逆に利用して、学習性無力感をなくすことで鬱から患者を救う方法を考案した。

私も、度重なる否定で自分は仕事のできないバカだと思うようになってしまっていた。こうなると日々仕事をするのが辛くなるし、面白くて好きだった仕事もつまらなく感じてしまう。こんな鬱々とした日々を過ごしていた。

http://tak-h.com/archives/1128

2011年の3月11日は石川県の客先に出張だった。上司とエンジニアを乗せてレンタカーを運転していた。運転しながら仕事が面白くない、辛すぎると考えていたことをよく覚えている。

午後から打ち合わせを初めて、3時ごろに終わった。打ち合中に少し揺れたように感じたが気のせいだと思った。打ち合わせを終えて車で空港に向かう途中、エンジニアが携帯電話から家に電話をしていたがなかなか繋がらない。打ち合わせ中になんども家から電話が来ていたらしい。

田舎だから電波が悪いのかな?なんて話をしながら運転していた。上司が携帯でニュースを見ていると、東京で震度5強の大きな地震があったと言うニュースが出ていた。これが電話が繋がらない原因だと考えたが、震度5強くらいでそんなになるか疑問だった。

空港につくとロビーのテレビでニュースが流れていた。カメラは空から真っ黒な津波が地面を進んで行く映像を撮影していた。これを見て初めてただ事ではないことが起こっていると理解した。

夕方の便で羽田に帰る予定だったが、地震の影響で飛行機は次々に運行延期になっていた。私たちも自分の便が延期になったので空港で待つことにした。空港では当時付き合っていた現嫁にメールをしたがすぐには返事が返ってこなかった。友達から電話が来たけど、すぐに切れてしまった。テレビでは津波の映像が流れ続けていた。

何時間か空港で待った後、全便が欠航になると言うアナウンスがあった。アナウンスを聞いて急いで空港近辺のホテルを探して電話をしたが、どこも満室だった。空港から車で40分ほどのホテルに3部屋予約を取ることができたので、そこまでタクシーで移動することにした。

ホテルに行ってから近くの居酒屋で食事をすることにした。私たちは実際の揺れをほとんど経験していないので、まだ楽観的だった。結構楽しく飲んでいた。会社に連絡をすると、会社の人たちは交通機関が動かないため帰れなくなって、会社で一晩過ごすことになったことを知った。

工場が東北にあり地震の影響を受けていて、製品が出荷できない可能性があるとの情報もあったが、今までもトラブルで納期遅延を起こすことはあったし、今回もその程度だと思っていた。むしろ、これで仕事がなくなって新しい部署に異動できれば辛い仕事や職場から逃れられてラッキー程度に考えていた。

彼女や家族とも連絡が取れて無事を確認できて安心した。その日は酔っ払ってホテルに帰って朝までテレビでニュースを見ていた。翌朝、新聞を見ながらホテルで朝食を食べた。新聞には三陸沖が壊滅だと書いてあった。壊滅って言葉をリアルで見る日が来るなんて思っていなかった。現実ではないような気がした。

空港に朝一番に戻って、飛行機の振り替えをお願いした。しかし、朝の飛行機は埋まっていて、夕方に予約が取れた。夕方まで時間があるのでレンタカーを借りて近くの温泉に入って時間を潰した。この時もまだ余裕があったんだと思う。

夕方の便で無事に羽田に戻った。羽田から自宅のある新宿までバスで帰った。震災翌日の夜の首都高はほとんど車が走っていなかった。道にも人がいなくて東京中がゴーストタウンのようだった。

家に帰るとガスが止まっていたので、ネットで調べてガスを復旧した。部屋は物が少し落ちた程度で問題はなかった。当時はテレビを持っていなかったので、ネットでニュースをずっと流していた。確かニコニコ動画でNニュースを流していたのでずっと見ていた気がする。