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36歳からの転職ブログ

転職成功までのプロセス、転職エージェントの感想、30代での転職の苦労、キャリア感、大企業から脱出する心構え、その他諸々について書いています。 新卒で専門商社(3年)→財閥系一部上場メーカー(9年)→ベンチャー

自分語り11 転職後

自分語り

意気揚々と次の会社に移った。職場は丸の内だったので、大学時代から社会人4年目まで8年間過ごした関西を離れた。会社へは横浜の実家から通った。当時京都に学生時代から付き合っている彼女がいたけど、遠距離恋愛になってしまった。

専門商社から丸の内の財閥系一部上場企業に転職する。見事にリベンジ転職を決めた、と思っていたが、その数年後にはパワハラで鬱一歩手前まで追い込まれるので、人間万事塞翁が馬だと思う。

前職で出向していた企業はみんな一流大学を出たエリートサラリーマンで紳士的に仕事を教えてもらっていた。わからないことや相談がある時、上司や先輩に声を掛けたら真剣に教えてくれていた。転職した会社も同じように基本的に一流大学を出た人ばかり周りにいた。私もリクルーターをやった経験があるが、学歴フィルター的には、国立は旧帝大、私立は早慶しかエントリーシートが通らないような会社だった。MARCHでエントリーシートが通るのは全体の5%くらい。しかも相当優秀なやつだけ。そんなレベル。

しかし、私が配属になった部署は少し毛色が違っていた。国内営業と海外営業の2つの課があり、私は国内の営業に配属になった。海外営業はいわゆる普通の課で、大卒がローテーションで配属される。国内営業は大卒が1人もいなかった。40代前後の高卒で構成されていた。この課は特殊で20年くらい前に工場の現場から営業にコンバートされた人員で占められていた。20年前は事業の立ち上げ時期で大卒の営業をつけられなかったので、現場から営業が出されてそのまま20年近く同じメンバーでやってきた部署だった。

そこに社会人4年目の私が1人だけ配属される。これはもう完全にアウェーだった。高卒で営業として地位を作ってきたメンバーの中に投げ込まれて、私は完全にイビリの対象になった。普通なら仕事を教えてくれるんだけど、仕事を教えたら自分たちのポジションを奪われるという危機感を持っているので、簡単には教えてもらえない。また、高卒の人たちも何年もかけて今の地位を築いたので、簡単にノウハウを教えてなるものかという意識が強かった。実際、そう簡単に今のポジション渡さねーよと言われたこともある。

大卒と高卒では出世のスピードも違うので、彼らが何年もかけて登った職位に一瞬で追いついてしまい、そのうち追い抜かしてしまう。そういうわけで多分面白くなかったんだと思う。仕事は教えてもらえず、ミスするとバカじゃないの?と言われ、会議で顧客の報告をあげると、なんでこういうことを聞かないんだと、重箱の隅をつつくような質問をされる、なぜその質問が大事なのかの理由は教えてもらえない。などなど。あげるとキリがない。当時はこれが教育なんだと耐えていたけど、今思うと人格否定とパワハラの嵐だった。

今でも覚えているエピソードの一つは、今まで参入できなかった顧客に通って、最終的に年数億円の売り上げになる大きな案件を受注した時に、成果を認めてもらえず、お前が担当じゃなければもっと早くからこの案件受注できたんじゃないの?的なことを言われたことが心の傷として残っている。

とにかく、高卒の上司たちのパワハラに負けないように頑張って仕事をしたが、相手は20年近く同じ業界にいるベテランで、こちらは途中入社したばかりの若造で勝ち目はなかった。その後、この部署での生活が数年に及んで心を病んで閑職に追いやられるんだけど、その時経験ではおっさんに勝てないから、理論を勉強しようと思って大学院に通ってMBAを取得することになる。今思うと、この時パワハラを受けたおかげでMBAを取得して、自分のやりたい仕事につけたので、マイナスばかりではなかったと思うが、逆にいうと、MBA取得しちゃうほど追い込まれていたということだね。

徐々にパワハラは常態化して、心が荒んでいくことになる。入社した当時は、一部上場企業で引き抜きされかけたという自負もあり、自信に溢れていたが、徐々に俺はダメなんだとネガティブになっていくことになる。2011年の東日本大震災の影響で超多忙になり完全に心がおれるんだけど、その話はまた後ほど。

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