いつまで大企業で消耗してんの?

転職成功までのプロセス、転職エージェントの感想、30代での転職の苦労、キャリア感、大企業から脱出する心構え、その他諸々について書いています。 新卒で専門商社(3年)→財閥系一部上場メーカー(9年)→ベンチャー

自分語り8 父が死んだ後

次の日からは、遺体を実家に運んだり、葬式の手配をしたり、死亡届を出したり、慌ただしくて悲しんでる暇もなかった。私はまだ22歳だったけど葬式の喪主を務めることになった。が、ほとんどの手配は祖父がやってくれたので、私は言われるままに動いただけだった。

父が死んだ翌日不思議なことが起こった。眠っていた私と母と妹が夜中に同じ時間に目覚めた。時計を見ると前日に父が亡くなった時間だった。寝室には父の遺体があった。偶然かもしれないけど。何か意味を感じた。

どこで聞いたのか、葬式には高校の同級生が何人かきてくれた。私はそれを見て号泣した。ありがたかった。

横浜で父の葬儀を終わらせて、京都に戻った。京都では仲間が芝居を作ってくれていた。私は一気に演出をして、学園祭に向けて準備を続けた。

学園祭は大盛況だった。数百人を動員して、数十万円の利益があった。これと大学からでる補助金を使って、次の公演が打てる。こうして次の公演を3ヶ月に一回のペースで進めた。

大学の授業も頑張った。その時私は4回生ですでに留年が確定していた。しかし、卒業論文が4単位、ゼミが4単位でそれ以外の単位が残っていなければ学費が半額以下になる制度があった。確か1年で登録できる単位が48単位だった。京都には大学コンソーシアムという制度があって、京都市内の他の大学の授業を受けて、それを自分の大学の単位として認定してもらえるというものだった。これが12単位分使えるので最大で60単位取得することができる。私はこの制度を使って、単位をフルで撮れば学費が安くなるというギリギリの状態に挑んだ。

大学コンソーシアムは遠くの大学に行かなきゃいけなかったりするので物理的に超ハードだったんだけど、頑張って通った覚えがある。しかし、努力の甲斐なく1つか2つの単位を落として60単位にはたどり着けず、5年目の授業料をフルで払うことになってしまった。とはいえ、3年で60単位くらいしかとっていなかったので、1年で60単位近くとれたことは今までの私の生活からすると奇跡的だった。やればできるんだから最初からやればよかった。

そんな感じで、勉学とバイトと演劇に勤しんだ。5回生になって4回目の公演をしていた頃だった。3ヶ月に一回脚本を書いて、演出をして、劇団員たちの面倒をみて、という生活をしてたんだけど、完全に私のキャパを超えていた。また父が死んで母を残して、フリーターをしながら演劇をしていていいのかって気持ちも出てきた。

行き詰まった私は劇団を辞めたいというメールを仲間に送ってドロップしてしまった。今もこの時の無責任さを後悔している。会社だったらありえないことだ。覚悟ができていなかったし、一緒に演劇をやっていこうという仲間を裏切ってしまった。でもあの時は自分の限界を確かに超えていた。仲間にもう少し負荷を減らして欲しいとお願いできたらよかったんだけど、自分で全てやることが責任だと思って潰れてしまった。

その後、私は遅まきながら5回生の9月ごろから就職活動を始めた。