いつまで大企業で消耗してんの?

転職成功までのプロセス、転職エージェントの感想、30代での転職の苦労、キャリア感、大企業から脱出する心構え、その他諸々について書いています。 新卒で専門商社(3年)→財閥系一部上場メーカー(9年)→ベンチャー

自分語り3 中学・高校時代

私が入学したのは横浜の中高一貫の男子校だった。同級生の上位5%が東大か京大に進学して、50%程度が早慶に進学するくらいの学校だった。いつものごとく悪くはないけど、トップではない。

ここでの最大の問題は、男子校だったこと。6年の男子校生活で私はその後童貞をこじらせることになる。

中高の生活はとにかく楽しかった。部活をして、バンドをして、よく遊んだ。男子校だけど、文化祭にやってきた女の子をナンパして彼女らしきものを作ったり、失恋したり。童貞だったけど。

部活はバレーボールで私は部長をやっていた。すぐ練習をサボるので部長になれば練習に来ざるを得ないだろうということで引退する先輩から指名された。
進学校だったことと、2年上の先輩の素行が悪く、全員顧問に辞めさせられていて、伝統が全く受け継がれておらず、練習方法とかも手探りで作っていたレベルなので非常に弱かった。試合では一度も勝ったことがなかった。神奈川県で最弱で有名だった。

ある試合の時、トーナメント表を見ていると、一緒にトーナメント表を見ていた知らない高校のやつが、我が校の名前を見て、ここ超弱いよって言ってるのを聞いたことがある。

みんな童貞を拗らせていたので、部室の壁一面にデラべっぴんなどのエロ本のお気に入りのページを貼り付けていた。中には、海外旅行で無修正のエロ本を調達してきた剛の者がいて、その戦利品を貼ったりしていた。

ある時、顧問がたまたま部室に入って、壁を見て驚いた。部長だった私が職員室に呼ばれて詰問された。私はとっさの起点で卒業したOBの先輩たちがやってきて貼っていきましたと説明してお咎めなしで逃げることができた。そんなことを思い出した。

そんなことはどうでもよくて、学生生活でのポイントは2つ。父のB型肝炎が悪化して数回手術を行った。父親の容体はよくわかってなかったが、いつか父が死ぬかもしれないという恐怖を感じていた。

中学の時から映画が異常に好きになった。WOWOWに加入してもらって毎年、100本くらい映画をみた。映画監督になりたくて大学は日大芸術学部の映画学科か、早稲田の第一文学部の演劇学科で映画を研究しようと考えた。進学校だったので早慶以外は大学じゃないみたいな雰囲気があったので、とりあえず早稲田を第一志望にして勉強をしていた。

とはいえ本当に行きたかったのは日芸の映画学科。日芸は一応学科があるけど、普通に勉強してれば受かる程度なので、真面目に勉強はしてなかった。それよりも面接と実技が重要だった。映画学科の場合はお題を与えられて簡単なシナリオを書く、というテストだったと思う。

というわけで、高校三年生の八月の半ばまでほとんど勉強していなかった。夏休みに模試があって、友達と遊びでテストの点を競争することにした。それまで勉強してるフリだけで実際勉強していなかった私は、初めて自主的に勉強することにした。テストの結果は忘れたけど、勉強し多分テストの点数が上がった。

ここからテストの点数を上げることがゲームのように感じ出して、急に勉強を始めた。周りがみんな早稲田や慶応を目指しているので、自分もとりあえず早稲田を目指して受験勉強を本気で始めた。早稲田受かるなら日芸も受かるでしょって考えだった。

本格的に勉強を始めたのは9月。入試があったのが2月なので、実質勉強した期間は5ヶ月程度だった。5ヶ月で偏差値40くらいだったのが、偏差値65程度まで上がって、早稲田も射程圏じゃないかって感じになった。

結局、早稲田は落ちて、日芸は2次試験で落ちて、滑り止めで受けてた京都の私大だけ受かった。受かったのは文学部の心理学専攻だった。心理学を選んだのは少し興味があったのと、文学部の中で一番偏差値が高かったから。その頃の私は偏差値大好きだったので、少しでも偏差値が高ければ世間体がいいと思っていた。社会に出てから心理学専攻の偏差値なんて誰も気にしてないことがわかったけど。

志望校に合格できなかったので浪人か受かったところに行くか選択を迫られた。進学校なので現役で大学合格できない奴は人じゃないみたいな教育を受けていたので、現役で受かった大学に行くことにした。あと、その年ちょうど1999年でノストラダムスが1999年の7月に世界が滅ぶ的な予言をしていた。ノストラダムスの預言が当たったら、浪人で童貞のまま死ぬことになるので、それは嫌だと思って大学に行くことに決めた。大阪に祖父母がいるのでそこに居候させてもらうことにした。

今考えるとこれが失敗だったと思う。5ヶ月の勉強で偏差値が25上がったんだから、浪人して12ヶ月勉強すれば、偏差値は60上がって偏差値100位になってハーバード大学くらい行ってたと思う。そうなると多分マークザッカーバグが入学した時に大学4年生だから、Facebookの立ち上げに参加して今頃共同創業者になってたりして、こんな転職ごときで悩んでないだろうな。というわけd、童貞を拗らせたことが私の人生も拗らせたのだと思う。

中学・高校時代のポイント
・6年間の男子校生活で童貞をこじらせた
・映画監督になりたかった
・偏差値大好きな俗物だった