いつまで大企業で消耗してんの?

転職成功までのプロセス、転職エージェントの感想、30代での転職の苦労、キャリア感、大企業から脱出する心構え、その他諸々について書いています。 新卒で専門商社(3年)→財閥系一部上場メーカー(9年)→ベンチャー

自分語り1 生まれてから幼稚園まで

生まれてから幼稚園まで

私は1980年に神戸で生まれた。
父親システムエンジニアで銀行のシステムの構築なんかをしていた。
70年代でシステムエンジニアだったから今から考えるととても先見の明があったのかもしれない。
が、父はインターネット全盛期やこれから来るIoTの時代を見ることなく2003年に死んでしまった。

母は専業主婦。社内恋愛だったらしい。私が生まれる前に一度流産している。私は待望の子供だったようだ。

3歳下に妹がいる。昔から仲が悪くて10代後半から父が死んだ20代前半まで数年間話もしなかった。今は仲がいい。

私が3歳のとき父の転勤で横浜に引っ越してきた。横浜といっても港から離れた未開の地にマンションを買って私は18歳までそこで育った。母はまだ同じマンションに住んでいる。

妹が産まれる時、母が流産しかけて数週間入院することになった。当時、父も母も横浜に親戚がいなかったので、私は関西の親戚の家をたらい回しされることになった。祖母の家の玄関で、関東に戻ろうとする父を泣きながら引き止めているシーンを強烈に覚えている。

全然覚えていないが、3歳の私は、預けられた祖母の家で、お願いですからおうちに帰してください、と懇願していたらしい。

心理学的には、2,3歳で母と引き裂かれて、父に置いて行かれると言う経験は、トラウマになるんだと思うが、自分ではこの経験がどう今の人格形成に影響しているかよくわからない。なんの影響もない気がする。

妹は無事に産まれて一家は4人になった。

キリスト教系の幼稚園に入れられた。土曜日も礼拝があって連れて行かれたので、休みが減る気がして嫌だった覚えがある。両親からしたら休日に子供の面倒を見なくてよかったので楽だったのだろう。

幼稚園では暴れん坊だった。私の名前が動詞になっていて「〇〇ちゃんする」というのがイタズラするや暴れるや先生の言うこと聞かないの同義語として使われていたらしい。とにかく元気に暴れまわってた記憶がある。

時期は忘れたが幼稚園で将来なりたいものを発表するイベントがあった。私には全く将来なりたいものなどなかったので何を書いて良いかわからなかった。とても困って、全然なりたくないのにお医者さんになって、困った人を助けたいと書いて発表した。こう言えば大人が喜ぶとわかっていたので、思ってもないことを書いた。このエピソードを今も鮮明に覚えている。


この時期のポイントは、
・両親から引き離された強烈な記憶があること
・元気な暴れん坊だったこと
・あざとい子供だったこと
かな

じゃあの